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2014.07.02

意味の暗示

ここから東といえば、それが当然素封家の詩人秋本でなければならなかった。  今、葉子が威勢よく上京して来るというのも、陰にそうしたペトロンを控えているためだとは、彼も気づかないではなかったが、その時の気持はやっぱり暗かった。  庸三は葉子の従兄筋に当たる、町の青年文学者島野黄昏に送られながら、一緒に帰りの汽車に乗ったのであったが、何か行く手の知れない暗路へ迷いこんだような感じだった。  その悩みもやや癒された今、彼はなお迎えに出ようか抛っておこうかと惑っていた。しかし病床に仰臥しながら、捲紙に奔放な筆を揮って手術の予後を報告して来た幾つかの彼女の手紙の意気ごみ方を考えると、寝てもいられないような気にもなるのであった。  着物を着かえて、ステッキを掴んで門を出ると、横町の角を曲がった。すると物の十間も歩かないうちに、にこにこ笑いながらこっちへやって来る彼女の姿に出逢った。古風な小紋の絽縮緬の単衣を来た、彼女のちんまりした形が、目に懐かしく沁みこんだ。  葉子は果して慈父に取り縋るような、しおしおした目をして、しばらく庸三を見詰めていた。 「先生、若いわ。」  まだ十分恢復もしていないとみえて、蚕のような蒼白い顔にぼうッと病的な血色が差して、目も潤んでいた。庸三は素気ないふうもしかねていたが、葉子は四辻の広場の方を振り返って、 「私、女の子供たちだけ二人連れて来ましたの。それに女中も一人お母さんが附けてくれましたわ。さっそく家を探さなきゃなりませんわ。」  そう言って自動車の方へ引き返して行くと、その時車から出て来た幼い人たちと、トランクを提げた女中とが、そこに立ち停まっている葉子の傍へ寄って来た。塾や家庭教師の動画配信サイトは塾の家庭教師

2014.07.02

子供の手

今、庸三は別にそれを当てにしているわけではなかったけれど、葉子と別れるには、そうした遊び相手のできた今が時機だという気もしていたので、葉子を迎えに行くのを怠けようとして、そのまま蚊帳のなかへ入って、疲れた体を横たえた。彼はじっと眼を瞑ってみた。  葉子とよく一緒に歩いた、深い松林のなだらかなスロオプが目に浮かんで来た。そこは町の人の春秋のピクニックにふさわしい、静かで明るい松山であった。暑さを遮ぎる大きな松の樹が疎らに聳え立っていた。幼い時の楽しい思い出話に倦まない葉子にとって、そこがどんなにか懐かしい場所であった。上の方の崖ぎわの雑木に茱萸が成っていて、萩や薄が生い茂っていた。潮の音も遠くはなかった。松の枝葉を洩れる蒼穹も、都に見られない清さを湛えていた。庸三も田舎育ちだけに、大きい景勝よりも、こうしたひそやかな自然に親しみを感じた。二人は草履穿きで、野生児のようにそこらを駈けまわった。  葉子の家の裏の川の向うへ渡ると、そこにも雪国の田園らしい、何か荒い気分のする場所があって、木立は深く、道は草に埋もれて、その間に農家とも町家ともつかないような家建ちが見られた。葉子はそうした家の貧しい一軒の土間へ入って行って、「御免なさい」と、奥を覗きこんだ。そこには蝋燭の灯の炎の靡く方嚮によって人の運命を占うという老婆が、じめじめした薄暗い部屋に坐りこんでいて、さっそく葉子の身の上を占いにかかった。彼女はほう気立った髪をかぶって、神前に祈りをあげると、神に憑かれているような目をして灯の揺らぎ方を見詰めていた。 「東の方の人をたよりなさい。その人が力を貸してくれる。」武蔵野市 歯科

2014.07.01

石のように冷やかな姿

ストーン氏も椅子を引き寄せて、女と差向いに腰をかけたが、手紙を丸卓子の上に置いて、左手でしっかりと押えて、屹と女を見詰めた態度は、依然として罪人に対する法官の威厳をそのままであった。一句一句吐き出すその言葉にも、五分の隙もない緊張味と、金鉄動かすべからざる威厳とが含まれていた。 「貴女のお名前は何と云いますか」  女はうなだれたまま答えなかった。しかしストーン氏は構わずに続けた。 「貴女のお名前は何と云いますか」  女はやっと答えた。 「それは申上げられませぬ。嬢次様のお許可を受けませねば……」  ストーン氏は苦々しい顔をした。 「それは何故ですか」 「何故でもでございます。二人の間の秘密でございますから」  軽い冷笑がストーン氏の唇を歪めた。 「……年はいくつですか」 「……十九でございます」 「ジョージよりも多いですね」 「どうだか存じませぬ」  ストーン氏の唇から冷笑がスット消えた。同時に眼からちょっと稲光りがさした。余りにフテブテしい女の態度に立腹したものらしい。 「学校を卒業されましたか」 「一昨年女学校を卒業しました」 「学校の名前は……」 「それも申上げられませぬ。妾の秘密に仕度うございます。校長さんに済みませぬから……」 「叔父さんに怖いのでしょう」 「怖くはありませぬ。もう存じておる筈ですから……でなくとも、もう直きに解りますから……」 「叱られるでしょう」 「叱りませぬ。泣いてくれますでしょう」 「何故ですか」 「あとからお話し致します」 「……フム……それでは……学校を卒業してから何をしておられましたか」 「絵と音楽のお稽古をしておりました」  ストーン氏は背後の絵を振りかえった。幡ヶ谷 歯科

2014.07.01

一通の手紙

それは桃色の西洋封筒で、表には何かペンで走り書きがしてあって書留になっている。ストーン氏は受け取って、先ず表書を見たが、ちらと女の方に上眼使いをしながら、裏を返して一応検めてから封じ目を吹いた。中からは白いタイプライター用紙に二三十行の横文字を書いた手紙が出て来たが、それを手早く披いて読んでいるうちに、その一句一句毎にストーン氏の顔が緊張して来るのがありありと見えた。それに連れて読んで行く速度が次第に遅くなって、処々は意味が通じないらしく二三度読み返した処もあった。  読み終るとストーン氏は、そのまま封筒と一緒に手紙を右手に握って、又、女の顔をジッと見た。その顔付きは罪人に対する法官のように屹となった。静かな圧力の籠った声で問うた。 「今まで貴女が、ジョージ・クレイと話しをする時に、いつも羅馬字で手紙を書きましたか」  女は黙って首肯いた。 「……それから……今日……貴方はこの手紙で……ジョージ・クレイが命令した通りにしましたか」 「ハイ」  女の返事は今度はハッキリしていた。そうして静かに顔を上げてストーン氏の顔を正視した。  その顔は、電燈の逆光線を受けて、髪毛や着物と一続きの影絵になっていて、恰も大きな紫色の花が、屹と空を仰いでいるように見える。それを見下ろしたストーン氏は決然とした態度で、肩を一つ大きく揺すった。そうして鉈で打ち斬るようにきっぱりと云った。 「……よろしい……私は帰りませぬ。貴女にお尋ねをしなければなりませぬ。貴女はジョージと一緒になって、私に大変悪い事をしました。……さ……お掛けなさい」  女は最初から覚悟していたらしく、静かに元の肘掛椅子に腰を下して、矢張り石のように冷やかな姿でうなだれた。山手町 歯科

2014.07.01

流石に頭がいい

「……ど……どこに行きましたか」  女は依然として静かなハッキリした口調で答えた。 「どこへもお出でになりませぬ。お母様と御一緒にもう直きに天国へお出でになるのです」  私は危く声を立てるところであった。最前の手紙の中の文句に……私の生命が危ない……今一人の相棒の生命も駄目になる……とあったのを思い出したからである。  ……志村浩太郎氏の最後には志村のぶ子が居た。  ……嬢次少年の最後にはこの女が居る……。  ……さてはあの手紙は真実であったのか。  ……私の第六感は、やはり私の頭の疲れから来た幻覚に過ぎなかったのか。  ……私はやはりここに来てはいけなかったのか……。  ……うっかりするとこの女を殺すことになるのか……。  そんな予感の雷光が、同時に十文字に閃めいて、見る見る私の脳髄を痺らしてしまった。しかも、それと反対に、室内の様子を覗っている私の眼と耳とは一時に、氷を浴びたように冴えかえった。  バード・ストーン氏は幕を引き退けた入口の扉の前に、偶像のように突立っている。その眼は唇と共に固く閉じて、両の拳を砕くるばかりに握り締めている。血色は稍青褪めて、男らしい一の字眉はひしと真中に寄ったまま微動だにせぬ。  女はそれに対してうなだれている。顔色は光を背にしているために暗くて判らないが、鬢のほつれ毛が二筋三筋にかかって慄えているのが見えた。  やがてストーン氏は静かに両眼を見開いたが、その青い瞳の中には今までと全で違った容易ならぬ光りが満ちていた。相手が尋常の女でない事を悟ったらしい。氏は又も室の中をじろりと一度見廻したが、そのまま眼を移して女の髪の下に隠れた顔を見た。そうして低いけれども底力のある、ゆっくりした調子で尋ねた。 「貴女はどうしてそれがわかりますか」 「……………」神保町 歯医者

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