才能のある人や大成する人は、小さい頃からその素質が見られるということ。

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2014.04.19

何て綺麗なお寺なんでしょう

あすこへ入っていると自然に頭が静まるようですよ。だけど坊やは厭なんですって。」 「僕も子供の時分は寺が厭だった。」  笹村は七、八つの時分に、母親につれられて、まだ夜のあけぬうちから、本願寺の別院の大きな門の扉の外に集まった群集のなかに交って、寒い空の星影に戦いていたことが、今でも頭に残っていた。「あの門跡さまのお説教を聞くものは、これまでの罪が消えて、地獄へ行くものも極楽へ行ける」というような意味の母親の言を耳にしながら、暗い広い殿堂のなかに坐っていた子供は、そこを罪を見現わされる地獄のように畏れていた。その時の心理ほどはっきり頭に残っているものはなかった。  腹のふくれた小さい患者は、今までにない健かな呼吸遣いをして、じきに眠ってしまった。 「さあ、私坊やの寝ているまに、ちょっとお湯へ行きたいんですがね。」  お銀はここへ来てから時を見計らっては来てくれるお冬に、時々髪だけは結ってもらっていたが、一度もお湯に入る隙を見出すことができなかった。  そこらを取り片着けてから、お銀が出て行ったあとの病室に、笹村はぽつねんと壁にもたれて子供の寝顔を番していた。そして疲れた頭が沈澱して来ると、そこにいろいろ始末をしなければならぬ退院後の仕事が思い浮んで来た。「退院するときあまり変な見装もして出られませんしね。」と言ってお銀の気にしていたことも考えられた。上越の美容院

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