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2014.04.19
明け払ったような座敷の真中に
疲れた体を横たえた。庭には松や柘榴の葉が濃く繁って、明るい小雨がしとしとと灑いでいた。長いあいだ病室に閉じ籠って、どうかするとルーズになりがちな女のすることに気を配ったり、自身に夜昼体を働かして来たことが振り顧られた。笹村は、始終苦しい夢に魘されているようであった。
綺麗に取り片着けられた机のうえに二、三通来ている手紙のなかには、甥が報じてやったまだ見ぬ孫の病気を気遣って、長々と看護の心得など書いてよこした老母の手紙などがあった。手紙の奥には老母の信心する日吉さまとかの御洗米が、一ト袋捲き込まれてあった。老母は夜の白々あけにそこへ毎日毎日孫の平癒を祈りに行った。
それを読んでいる笹村の目には、弱い子を持った母親の苦労の多かった自分の幼いおりのことなどが、長く展がって浮んだ。同じ道を歩む子供の生涯も思いやられた。そうしていつかは行き違いに死に訣れて行かなければならぬ、親とか子とか孫とかの肉縁の愛着の強い力を考えずにはいられなかった。刺身だとか、豆腐の淡汁だとかいうものを食べさせるころには、衰弱しきっていた子供も少しずつ力づいて来た。お銀が勝手の方でといで来た米を入れた行平を火鉢にかけて、粥を拵えていると、子供は柔かい座蒲団のうえに胡坐をかいて、健かな餒えを感ずる鼻に旨い湯気を嗅ぎながら待っていた。悪い盛りに、潅腸をする看護婦の手を押し除けたころの執拗と片意地とは、快復期へ向いてからは、もう見られなかった。表参道のヘアスタイル ヘアカタログ