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2014.04.16
五官の働きを基礎とした学問
常識ばかりをたよりにして電信電話以外に遠方の事はわからない。X光線以外に物は透かして見えない。指紋足跡の鑑識と、三段論法式の推理と、三等訊問法以外に犯罪の探偵方法はない……と固く信じているために、これ程に明白な第六感の存在を首肯する事が出来ないのです」
と説明しても、
「へえ。そうですかね。どうも貴方の議論は高尚過ぎて、われわれには解りかねます」
とか何とか云って逃げてしまう。そうして大神宮のお札売りか、大道易者にでも捕まったように、表面では尊敬して、内心では大いに軽蔑した表情をする。しかもその心の底では「どうもそんな事がありそうだ。時々そんな気がする事がある。或は事実かも知れぬ」と感じながらも、それを押し隠そうと努力している。その証拠には、隠しても隠し切れぬ苦笑いがその表情の中に浮き出して来る。これはその人の心の底に隠れている第六感と、常識とが互に相争っているからで、この傾向は相手に地位があればある程、又は教育があればあるだけそれだけ甚しい。こうして現代の唯物科学的文明は、この大問題を見向きもしないで振り棄てて行くので、私はこれを人類文明の大損害と思っている。
ところでここでもう一つ傍道に這入って説明しておかなければならぬ事は、人間が「第六感」を感ずる場合に三種類ある事である。
元来この第六感というものは、今まで説明したところでもあらかた察しられる通り、人間が普通の常識とか、妄想とか、空想とか、又は智慧分別とかいう雑念の一切合財から綺麗に離れた、純真純一な空っぽの頭になった時に感ずるもので、その第一例としては、和漢の高僧、名知識と呼ばれる人々が、遠方の出来事を直感したり、将来の一大事変を予知した話が、屡々世に伝えられている実例がある。池袋でヘアスタイル作りも強化中